その1では、うつ病に発症するまでの事をまとめましたが、今回はうつ病を発症してからのことをまとめてみました。うつ病は発症してからが本当に大変なのです。うつ病の母親との長い生活が始まります。
母親がうつ病になってからの生活はとても大変
心療内科で薬をもらい、少しずつではありますがお菓子や少量のご飯を食べることが出来るようになりました。ですが、お酒は相変わらず飲み続けていました。今まではお酒を飲んでも少量でしかも飲んでも弱くなかったのですが、うつ病を発症してから本当に悪酔いするようになりました。もうアル中ですよね。暴力や自傷行為をすることはなかったのですが行動がもうストレスでした。
・何をしゃべっているのか分からない
・相変わらず掃除・料理・洗濯をしない(できないのか?)
・中学や高校になると弁当を自分で作らないといけない
私の気持ちにも変化が現れた時期だった
最初は母親がかわいそうと思っていました。ずっと母親がこんな状態になったのは父親のせいだと父を恨んでいました。ですが、アル中状態で仕事もせず毎日家にいる母親を見ていくうちに、「うつ病って言ってるけど自分に甘いだけじゃないか」「父親が浮気する気持ちもわかる」「こんな母親にはなりたくない」「父親と一緒に住んだ方が幸せだ」という気持ちになりました。この頃には既に離婚をしてて父親は出ていきました。父親とは連絡や会ったりする機会もありますが、親権は母親だし一緒に住んでるのも母親だし学生だったので我慢するしかありませんでした。最終的には母親を見ること自体ストレスだったので、夜遅くに家に帰ったりしてなるべく母親が寝ている間に帰るという毎日でした。会話もそのころはほとんどしませんでした。というかしたくなかったです。私がこんな感じで反抗期だったので、その分お姉ちゃんに負担が行っていたのだと今になって思います。
母親が肝硬変で入院することになった
アル中で毎日酒を飲んでいたせいか胆石ができ入院することに。こちらからすると「やっと少し解放された」この気持ちだけでした。病院にいる間はお酒を飲めないので、退院してから少しの間はお酒を飲まなかったのですが、知らないうちに家ではなくコンビニの前や酒屋の前でお酒を買って飲むようになりました。仕事は始めたらすぐ辞めてしまう。この繰り返しでした。そして次にふらふらした状態で家で転倒して股関節骨折をしました。トイレに行くのも一苦労。夜にトイレに行くときはすり足。こっちからしたら睡眠まで奪われるのかと。「いい加減にしてくれ」本当にこの気持ちしかありませんでした。
まとめ
胆石や股関節骨折して入院して退院してと、うつ病~アル中になってこの期間が一番長くストレスでした。学校や友達と遊んだり、部活に打ち込んだり外では恵まれた環境があったから私の場合はよかったです。あと、一番大きかったのが兄弟がいたという事です。これが一人っ子だったらという事を考えると、私までうつ病になっていたのではないかと思います。うつ病は心の病気ですが、そこからアル中などの別の病気にもつながるややこしい病気だと本当に思います。
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